グリズリー・ライフ

アメリカ生活や海外旅行でのTipsなど

AI(機械翻訳)が発達しても,英語学習が必要な理由

 

Google翻訳をはじめとした機械翻訳技術の発展が目覚ましい中、多くの英語学習者が「今、英語を学ぶ意味って何」と考えることがあるかと思う。

いわゆる「AIによる英語学習不要論」だ。

Google翻訳で、論文程度なら違和感なく読めるようになってきたし、Youtubeの自動字幕起こしも、そこらの日本人英語学習者の聞き取り能力よりも精度は高い。 

自分が懸命に行なっている努力が、数年後には無意味になってしまうのではないかという不安と恐怖。

AIが発達しても人間の仕事は無くなりませんよ~」的な記事はネット上にたくさん転がっており、当然機械翻訳に関する記事も多い。

しかし(私が観測した限り)その多くは機械翻訳関連の研究者が執筆したものであったり、英語学習者のブログであったりして、実際に海外で働く/生活するためのpracticalな話は多くないように思えたので、この記事を執筆した。

海外で働くことを目指して英語を勉強している人の参考になれば幸い。

それでも英語を学ぶべき理由

私がアメリカでエンジニアとして働き始めて1年近くが経過した。職場に日本人はほとんどおらず、業務上の会話は全て英語。わずか1年程ではあるが現時点で出した自分の結論としては「それでも英語を懸命に学ぶ価値はある」というものだった。その理由は以下の三つ。

1.   機械翻訳では,業務上の会話スピードについていくことが困難

アメリカのエンジニアは、Slack等を使って対面での打ち合わせはほとんどしないイメージを自分は持っていたが、少なくとも今いる分野ではそこそこの頻度で会議がある。また基本的に会議で開発の方向性が決まるため、重要度も高い。ここでは会議における質問(もしくは意見)と応答のやりとりを、音声機械翻訳によって支援可能かどうか、原理的なところも含めて考えてみる。

音声翻訳技術はいくつも実用化(Google翻訳など)されているが、残念ながら現状において、会議での会話速度にはついていけていないように思われる。翻訳処理の速度に関しては、今後の技術発展によって解消される日が来るかもしれない。しかし、日本語と英語の語順の違いによって生じる遅延をゼロにすることはほぼ不可能だ。

英語をはじめとするヨーロッパ系言語や中国語の語順はSVOだが、日本語はSOV。これは、日本語/英語の完全な同時翻訳が原理的に不可能であり、翻訳を開始するまでのバッファが必要であることを意味する。例えば、ある論文 [1] によると、日英同時通訳者が訳出を開始するまでの時間(訳出遅延)は数秒ほどかかるらしい。

同時翻訳においては、日英間の文法構造の差によって生まれる遅延をゼロに近づけるための方策がいくつか存在する(とさっきの論文で読んだ)。例えば、発話内容の要約、発話速度の調整など。これらの方策をとれば、訳出遅延が数秒あっても、翻訳が終了する時点における遅延はほぼゼロに抑えられる日がくるかもしれない。

ただ個人的な経験として、そうして圧縮された情報や、発話速度を高めた情報が会議でのやりとりに役立つかというと疑問だ。私も含め、多くの日本人は会議内容の8-9割は理解できている(若干盛った)し、決定事項も理解できている。むしろ、翻訳中に圧縮されるであろう残りの1-2割が理解できていなくて苦しんでいる印象を受ける。

また翻訳が終了するまでの遅延よりも、翻訳が開始されるまでの遅延(訳出遅延)の方が会話における影響力は大きいように私は思う。私たちは相手の発話を聞きはじめるのと同時に思考を開始する(だからこそ、相手の発話が終わった瞬間から返答を開始できる)。訳出遅延は思考を開始する時刻と返答を開始する時刻を遅らせる。

Well... と言って悠長に返答を考えている間に会議は進む。会議での発話、応答速度の重要性について、以下のブログを参照する。

 

medium.com

このブログには「高速で言葉がやりとりされる会議において、自分の言葉をカットインするために発音を矯正させざるを得なかった」という記載がある。私自身はそこまで切迫した会議に出席したことはないが、発話の速度と量が会議における重要なファクターであることには強く同意したい。

なお、ここまでの主張は主に音声に基づく同時翻訳をイメージして書いた。一方、音声情報の書き起こしの技術(MicrosoftDictateなど)は現時点においても非常に有用であると思う(書き起こしているだけなので翻訳ではないが)。今後、英語のリエゾンやリダクションの聞き取り練習をする必要はなくなるかもしれない。とは言え、会議のスピードについていくための流暢な英語を身につけるためには、必然的にリスニングの訓練も積む必要があり、結局リスニングの訓練が不要になるとは思わない。

2. 機械翻訳では生活面でのトラブルに対応できない

1. では仕事の面について書いたが、2. は生活面について書く。私は、この数ヶ月いくつものトラブルに見舞われた。住居での騒音、銀行からの書類が届かない etc… アメリカは日本に比べ社会インフラが弱い(特に公共交通、郵便)ので、周囲を眺めてもだいたい数ヶ月に一回インフラがらみのトラブルにあっている印象を受ける。その時に命綱となるのは、お金ではなく、自身のトラブルを他人に伝え、援助を頼む能力であり、それはすなわち自身の英語能力だった。社会インフラが脆弱な国において、自分の命綱をGoogle, Apple, Microsoftといった他者に預けるべきではない(既に膨大な個人情報を預けちゃってるじゃないか、と言う反論はありうる)。

具体的な話をすれば、例えば翻訳アプリの入ったスマホ(もしくはデバイス)の電池が切れる、OSアップデートでアプリが動かなくなる、電波が届いていない場所でトラブルに遭う(得てしてトラブルはそういった所で起こる)etc..

また、トラブルの際は自分の感情を相手に伝えるということが重要になる。なぜなら、あるトラブルの深刻さは、被害を受けた人間のバックグラウンドに強く依存するため、それを共有しない相手には伝わりづらいからだ。例えば私は以前、マンションのManagement office との間で水漏れ時の対応についてトラブルになったことがあった。どんなにメールで苦情を申し立てても(私の拙い英語のせいもあって)いまいち深刻さが伝わらず、I'm very disappointed with your service ...という書き方をし、さらに直接オフィスに出向いていって初めて対応に動いてくれた(直後、かなり丁寧な謝罪のメールが届いたので、深刻さが伝わっていなかっただけで、悪い人ではなかったのだと思う)

感情も含めた意図の伝達は、機械翻訳のみでは困難であり、当事者の英語の表現力にかかっている。

3.   直接のコミュニケーションによる楽しさを捨てるのはもったいない

f:id:Altemis1159:20181114210914j:plain

あまりに殺風景なので、ブログ感を出すためにWikipediaに掲載されているグランドキャニオンの写真を載せてみた。両親や友人から「アメリカで一番楽しかったことは?」と訊かれる度に、私は無難に「グランドキャニオンへの旅行かな~」と答えているが、これは嘘だ。実際にグランドキャニオンには行ったが、高所恐怖症のため、私は風景をほとんど正視していない(一緒に行った友人は感動的だったといっていたので、多分感動的な光景だったんだろうと思う)。

自分にとって、最も楽しかった瞬間は上司や同僚との技術的なディスカッションだった。ここまで偉そうに書いてきたが、自分のスピーキング能力は、現地人にとってはほとんどカタコトだ。特に最初の数ヶ月は、技術的なディスカッションでも詰まることが多かった。

しかしある日、今後の実装箇所を決めていく打ち合わせをする際、急に「喋れる」という感覚を掴めた時があった。それまでは「次は**を実装しよう」と言われて「Yes/No」くらいしか返せなかったところから、「その設計には**という問題点があると思っていて、むしろこちらの方が良いのではないか」「そのタスクよりもこちらのタスクを優先した方が良いと思うのだがどうだろうか」という風に、かろうじてでも対話が成り立つところに進んだ感覚があった。英語には「共通認識を持つ」と言う意味で "be on the same page" という言い回しがあるが、まさにそんな感覚。

異なるバックグラウンドを持つ人間同士が、英語を介して共通認識を形成できていると言う感動は、何にも変えがたいものであり、自分が今、英語を勉強し続ける最も大きなモチベーションとなっている。おそらく、この感覚は自身と相手が同じ言語を通じて、直接対話しているからこそ生まれるものであり、それを得るためだけでも英語を必死に勉強し続けるに値する、と私は思う。

 

参考:

[1] 遠山仁美他:”訳出遅延時間と訳出開始タイミングに着目した 同時通訳者の原発話追従ストラテジーに関する分析,” Interpretation Studies (6), pp.113-128, 2006.